やっぱり
日記をつけるのを忘れていた。
気分で始めたようなことはすぐに辞めてしまうもんなのだろう。てか、一昨日は書いたっけ?それすら覚えてねーや。朝起きて日記を忘れたことに気付いたから、今書く。
小さい頃、ちょっとした間違いで謝らないといけないことをしてしまった、なんてことはよくあった。その時に、すぐにあやまれる子供は少ないだろう。放っておいて、後で見つかってめちゃくちゃ叱られるやつだ。悪い問題は早く解決するべきなのだ。しかし、その問題が悪ければ悪いほど、言い出せないものだ。
で、今回の日記を忘れたことは小さな事であり、誰にも迷惑をかけない。だから、あっさりと「今書いちゃおー」なんてやっている。自分の事なのにだ。もっと自分を大切にしろ。僕は自分に甘い人間だ。それじゃ夢も遠ざかる。
ヤドカリ
外に出るのが嫌いになったのはいつからだろうか。僕は田舎育ちで小さい頃には外で遊んだりしていた。部活動で毎週土日はソフトテニスをしていた。大学に入ってからは運動部には入らなかった。やっぱり家でゲームをする方が好きだった。
田舎育ちだからか都会は苦手だ。人が多くて疲れるからだ。周りの人が僕を見ていなくても、見られている気がしてしまう。そういう性格なのだろう。そうして家にこもる癖がついてしまった。食料を買いに行くのさえも面倒だと思うようになった。もっとアクティブな人間になれれば家の中でも明るくいられるだろう。僕は家にいても少し暗い。というよりかは活発ではない。モチベーションが低いと作曲にも気が向かなかったりする。
自分をそう分析して納得することで、仕方ないと思いたいのだろう。
そうじゃないぞ、村上。
ふんばれ!頑張れ自分!
バーチャル
バーチャルリアリティの世界が進化すれば、ゲームの中でもうひとつの世界が生まれる。そんな想像がたくさんされてきた。海外ではそういうのがあるっぽくてアバターとチャットがメインのゲーム?というかアプリケーションがあるようだ。よく知らないから違うかもしれないけれど。そこで、それとMMOをかけあわせたキャラクターレベルのないゲームを僕が今考えました。
そのゲームでは、キャラクターにレベルはないがスキルにはレベルがある。モンスターは出てこないが動物は存在する。狩人として生活するなら、その動物を狩って肉屋に売るなりする。その肉屋もプレーヤーが営んでいたりして、プレーヤーがその小さな国で生きる。目的はお金を貯めて、欲しい何かを買う事。その国でお店を出しているプレーヤーが優秀であればあるほど、いい品がそろう。欲しいものも沢山できるだろう。そうやってゲームの中で生きるゲーム。
楽しそうじゃない?
もうひとつの世界って感じで。
文明の発展具合はリムワールドくらいが楽しそうだよね。
そこで出会ったプレーヤー同士がリアルで結婚したりしてね。
こういう妄想は楽しくて止まらないな。
久しぶり
どうも、お久しぶりです。村上です。
何となくアプリを開けてみた。ほんと何となく。この日記を書いていた時期は暗黒期。マジに引きこもってた時だ。今では暗黒期を乗り越えて、頑張ってやってるよ。その間、日記のことはすっかり忘れちゃってたけどね。何となく思い出したこの期に再開してみようかな。日記
日記というものは続かないものだ。
僕は特に毎日続けるとか習慣付けるという事が苦手な人間である。久しぶりに見返してみたが、割と続けてたんだなぁと思った。その代わり、文章は読みにくくて面白くないものばかり。ひどいもんだね。まぁでも、偉い人に提出する書類じゃないし、好きなように書いたらいいよな。またすぐ飽きちゃうかもしれないけど、もう1回やってみるわ。日記
ミュージックビデオ
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの映像作品集4巻を買った。なぜなら、新しい世界のMVをどうしても見たかったからだ。今はYouTubeに無いが、昔に見たことがある。その時の衝撃と感動が忘れられなくて。そんで、見たんだけど鳥肌立ちっぱなしでした。他のMVもとても良かった。特にワールドアパート。ダンサーの方々の表現力に脱帽。演出を考えた人にも。僕も自分の音楽を映像と共に残していきたい。だから、たくさんの芸術家と友達にならなきゃね。
アウトプット
作品を作る人は生活の中でインプットしたものをアウトプットする。アウトプットはいろんな形でされる。文字、音、色、動き、さらにいろいろ。僕はこれらのうちの音と言葉でアウトプットをしている。でも、たまに文章を書きたくなったり、絵を描きたくなったりする。アウトプットの種類を変えたくなるのだ。これは同じ味ばかりでは飽きてしまう的な事だと思う。大して良い文章や絵がかける訳では無いが、気分転換としてやりたくなる。音楽だけずっとやっていたってマンネリ化するので、こういう別腹はとても良いと僕は思う。数学のあとに国語をやると脳の使うところが違うため、疲れない的な効果もありそうだし。でも、時間がもったいないと感じるかもしれない。そこで僕は、一見違うアウトプットだが結局は音楽に繋がるというマジックを思いついた。国語をやっているのに、数学のためになっているのだ。説明しよう。僕は「映像と音楽が融合したときの計り知れない力」をより引き出すために、映像に合った音楽を作れるようになろうと思っている。そのためには風景やイメージから音楽を作る練習が必要だと考えたのだ。そこで、風景や設定から思いつくものを描いてみるのだ。絵で。そこからヒントを得つつ音楽を組み立ててゆく。これはラーメンズの小林賢太郎さんのやり方を参考にした。小林さんは情報を絵でまとめるらしい。小林さんみたいに上手な絵はかけないが、良い気分転換になる。
国語力の無い僕でも、文章を書きたくなることがある。そんな時は思いっきり下手な文を書いてみるのだ。そんで、やっぱ向いてないなと思いギターに手を伸ばす。何を作るにしても出発はイマジネーション。いろんな形にアウトプットしてみてほしい。それは自己完結で人に見せるものでもないから、下手でいい。良いものを作るための駄作。踏み台。万能人間でなくたっていいのだ。なんでもできる人が羨ましいかい?僕はひとつに特化した人間が羨ましいよ。そしてそんな極端な人が好きだね。